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競技人口の増やそう!(早稲田大学での場合)【前編】

2002/12/29 writer: タナカタツロウ

私事ですが、今年の全日本選手権でXXXを辞めて、今年設立しました早稲田大学 ローラースケート同好会に移籍しました。今回設立に至った経緯を話して、今後、どのようにしたらリンクホッケーの競技人口、或いは競技団体数が増えていくのかを考えていこうと思います。

早稲田大学ローラースケート同好会

早稲田大学ローラースケート同好会の設立は今年(2002年)ですが、インカレ には二年前の2000年からスピード部門には参加しておりました。
そのときはクラブチームでスピードをしていた人が、早稲田大学に入学して、特別参加(所属はクラブチームのまま、早稲田大学として)ということで参加したみたいです。このときは、スピードの専門委員から参加大学数を増やしたいということで、話が来たそうです。この年は、早稲田大学だけではなく、東京工業大学他、いくつかの大学がスピード部門に参加していました。
この年に私は早稲田大学に編入して、インカレにはホッケーの審判として参加しておりました。このときには早稲田で同好会を作ろうという気持ちはありませんでした。なんでかは分かりません。

私が設立を考えたのは、去年(2001年)の新人戦のパンフレットを見たときに早稲田大学のスピードの選手が2人になっているのを見てです。このもう一人もクラブチームでスピードをやっていて、たまたま進んだ大学が早稲田大学だったということでした。
このとき、一つの大学に3人ローラースケート連盟所属の人間が集まるというのはそうそうあることではないし、後二人勧誘すれば、ホッケーも参加できるし、5人以上集まれば継続的に大学の団体として活動ができるかも、と思ったのです。
しかし、その時にスピードをやっている人の連絡先を知りませんでした。そこで、専修大学のHPに早稲田で出てた人の連絡先を教えてくれと書き込んだところ、本人から連絡があり、メールのやりとりで、「早稲田大学に同好会を作りましょう」ということになったのです。

選手登録までの壁

当初の予定は、お互いそれぞれのクラブチームに所属していたので、学連主催の大会にのみ(東日本学生、インカレ、新人戦)早稲田大学として、お互いが学生の間だけ参加させてもらい、日ロー連主催の大会にはそれぞれのクラブチームで参加させてもらう予定でした。
理由は競技人口の普及というもので十分な大義名分もあるし、現にそれまでの二年間 スピードではクラブチーム所属のまま学生の大会に参加していたのですから、問題ないと思ってましたし、学生連盟会長や、学生連盟委員長に電話でその旨を伝えたところ、問題はないということでした。

しかし、日ロー連(ホッケー専門委員会)にこの話をしたところ、「二重登録(大学とクラブチームの)になるから認めない」といわれました。
さらに、私は以前学生登録をしていたので、再度の登録は認めない(二度と学生の大会にはでれない)ということでした。
いくら競技人口普及ということ強調しても認めてくれず、それどころか、「出れるか どうか分からない時点で、話をするな!」「まずは5人集めて来い。そうでないと、集まって話し合っても我々の時間の無駄になってしまう。」といわれる始末でした。

何度か交渉した末、私が以前の大学で3回しか学生登録をしてなかった(4年生の時点ではクラブチームに移籍したため)ので、今年に限り、登録することは認めるが二重登録は認めないということでした。

早稲田大学での勧誘活動

実際に動き出したのは4月末からでした。
早稲田大学はサークル数が3000以上とも言われ、各サークルとも部員勧誘に数十万単位の金額や、モデルの女の子などを使うなどは決して珍しくなく、実体の曖昧な3人ではとても太刀打ちできませんでした。
一時期はスキーサークルに(インラインを練習でとりいれているので)「ホッケーを練習に取り入れませんか?」と持ちかけようとも考えましたが、スキーサークルでも10以上あり、どれに話し掛けるのがベストなのか分からず、諦めました。
結局、私の知人が運営している、新しいこと何でもやってみようというサークル(グルメ部)の中の一部門として、ローラースケート同好会を動き出すことになりました。


インカレに出場

目標はインカレに出ることでした。
組織としては5月ぐらいにできたのですが、6月は私が教育実習で東京にいなかったり、戻ってきても、やれ試験だ!夏休みだ!っ て感じで実際にまともな練習ができたのは9月からでした。練習場所は幸い高田馬場のスポーツセンター屋上があり、問題なかったのですが、5人揃わない状況ではまともな練習も、練習試合もできないまま、インカレを迎えました。

結果は当然ながら1回戦負け。
しかし、大会に出れたことで、ホッケーにやる気出した人間が出てきたこと、立教大学さんと定期的に練習をしていただけるというお話がてきたのは大きな成果でした。
あと、インカレに向けては、国学院大学OBと国学院の学生の皆様に練習に呼んで頂 いたり、初心者の指導をしていただいたりと多大な協力を頂いたのも大きかったです。


後編へ続く...



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